ミニチュアダックス ブリーダー
ミニチュアダックス の ブリーダー へようこそ
写真は私の愛犬「ミューミュー」です。
1985年 農村地帯の田んぼの真ん中に1軒の家を建てました。
その時 夫婦と子供3人の5人家族でした。
夏はカエルの合唱、冬は雪の中に埋もれる地域でした。
子供も小さく 引越しして来て間も無かったので 不安と
安全の為に 番犬をと考え ただ番犬を飼うのではなく
顔は怖いが性格は穏やかと言う事で「シベリアンハスキー」を
飼いました。
当時 ハスキーは世間でもあまり知られていなくて 「狼の雑種ですか」と聞かれたものです。
そのころ 私的には静かに「ブリーダー」を夢見てました。
妻は子育てに 懸命で犬の子犬を産ませるなんてとんでもないと
思っていました。
当時 ハスキーの購入金額は35万円。
交配料は10万円。
交配の為 遠方の奈良県まで2回出向いたのですが
妊娠しなくて そのあと滋賀県の某ブリーダーで交配して
何だかんだと3年間子供が出来ませんでした。
そのとき世間は「ハスキーブーム」 私のところは生まれない。
気持ちはあせりました。
やっと子犬が産まれて まだハスキーブームは終わっていませんでした。
1回出産すると100万円と言うお金が入って来たのです。
調子に乗って6匹まで台雌も増やし 順調かと思いました。
ところが「湾岸戦争勃発」その日に丁度 子犬の新聞広告を入れたのですが
問い合わせなんかあるはずもありません。
9匹とも売れ残り 子供達の友達に餌付きでもらっていただきました。
それ以来 ハスキーは終わってしまいました。
1989年 トライカラーのシェルティーを購入。
JCCのドッグショーにはまり チャンピオン犬も作出しましたが
限界を感じてシェルティーも止めました。
ドッグショーに参加するには費用も掛かり その費用を稼ぐ為にマルチーズの
繁殖犬を某業者から10匹を80万円で購入しました。
これが問題で 年寄りばかりで蚤だらけ 大きな損をしてしまいました。
この時 業界の厳しさを知らされました。
1992年 ブラック&タンのミニチュアダックスを友人から購入。
これがミニチュアダックス ブリーダーとしての起源です。
ハスキーで出産の安易さを知って マルチーズで出産の難しさを知り
1995年 チワワ のロングコート(金ちゃん)、スムースコート(銀ちゃん)を
大阪のKさんより25万円にて購入。
その後 キャバリアキングチャールズスパニエル、イングリッシュコッカスパニエル
プードル、パグ、シーズー、ゴールデンレトリーバー、ヨークシャーテリア、バセットハウンド、
ペキニーズ、ブルドッグ、コーギー、ミニチュアシュナウザーの繁殖を経験し ブリーダーの道は厳しく険しいものと身をもって知りました。
そして現在 ミニチュアダックスフンド、チワワ、シーズーの3犬種に絞りました。
何故か 日本の風土に最も適し 住宅環境にも適し 日本人的に会っているように思うからです。
もちろん自分的に一番好きな犬種です。
ちなみに室内犬に関してのみ話です。
室外犬は体力的に無理ですので 外しております。
以上ブリーダーとしての私の歴史です。
まだまだ話をすれば長くなりますが その続きは直接お会いしたときにでもお話しましょう。